海外留学が自由化されていなかった1964年、外務省自費留学試験を受け、100ドルを懐に米国留学、帰路、スポンサーも付けず、米国で稼いだ自費3,000ドルを元手に『日本で最初の世界一周』ライダーの実話
大迫嘉昭(おおさこよしあき)
Oldies’60s,&
ひな流しで祓う。これが、ひな祭りの起源である。 年中行事としての雛祭りは江戸時代までには定着したとされる。この頃には製作技術の発展によってさまざまな人形が作られるようになり、この頃から雛人形の鑑賞を楽しむスタイルに変化した。しかしかつての名残か、「ひな人形はひな祭り 38キロバイト (5,586 語) - 2022年3月3日 (木) 01:07 |
多くの人がそれぞれの思い出を持っている「給食」。給食は育った地域や私立か公立かなどさまざまな要素で変わり、子供の頃は毎日の楽しみだったり、はたまた憂鬱なものだったりしたが、大人になるとその思い出話で盛り上がることもしばしば。
【写真】京都生協の店頭で大きく打ち出される「ひし形三色ゼリー」
ウォーカープラス編集部でもたびたびリモート会議で給食の話になることがあり、出身が異なる編集部員が集まることから大盛り上がり。そこで京都市出身の筆者は、みんなが「三色ゼリー」を知らないことに気づく。
小学生の頃の給食で年に一度、桃の節句の時期にデザートとして出た、名前通り三色のゼリー。半解凍の状態のそのゼリーを紙のスプーンですくう感覚、休みの人がいることで余ったゼリーを勝ち取るためにじゃんけんをするクラスメイトたち…約20年経つ今でも、鮮明に覚えている。もちろん味も、忘れられないぐらいおいしい。
あの懐かしい味をもう一度!と思った筆者は購入を試みるが、調べたところ手に入れるのはなかなか難しい様子。そこで今回は、せめて三色ゼリーの存在を多くの人に知ってもらいたいと、販売元である京都生活協同組合(以下、京都生協)広報担当の喜多麻由さんに話を聞いた。
三色ゼリーの正式名称は「ひし形三色ゼリー」。1970年頃に学校給食向けに誕生したとされ、現在も京都府内にある小中学校の給食で年に一度提供されている。ひな祭りに飾られる菱餅を模したビジュアルで、ピンク、白、グリーンの三層になっている菱形のゼリーだ。発売当初の味は不明だそうだが、もともとは花びら型をしていたという。
「1979年に京都市の学校給食を担当する栄養士と協力してリニューアルをおこない、現在の菱形となり、メロン・ヨーグルト風・リンゴの味付けになりました。その後、ほかの自治体に提供する三色ゼリーは味が変更となっていきましたが、京都市は当時の味付けのままとなっています」
つまり京都市出身の筆者の記憶に残っている三色ゼリーは、そのままの味わいで今もほとんどの京都市内の小中学生に食べられているということになる。今でも子供たちの一大イベントとなっていると思うと感慨深いものがあった。特に男子生徒や家庭で桃の節句を祝う習慣がない子供たちにとっては、唯一桃の節句を感じられるものとして愛されているのではないだろうか。
さらに味わいについて驚きの事実が。前述したように、基本的に三色ゼリーはメロン・ヨーグルト風・リンゴの3つの味が層になっているが、NB品(京都市以外の京都府下・他府県の学校給食に出されている三色ゼリー)は定期的な味のリニューアルがあり、現在はいちご味・豆乳味・青りんご味となっている。ビジュアルの違いとしては、形は同じく菱形だがNB品のほうがピンク色が少し濃いそう。
もちろんどちらも三色ゼリーであることには変わりないが、今まで“京都出身”という人たちと交わした三色ゼリー談義のなかには、実はすれ違いが生じていたのかもしれない。今後は「何味やった?」と聞き、会話に花を咲かせるのも楽しみだ。
■どうすれば手に入る?大人が手に入れるための条件
筆者はもうひな祭りがどうのこうのという年齢や環境ではないが、やっぱり「あの味をもう一度」という気持ちは捨てきれない。さらに、あんなにおいしいものを京都府民の子供しか食べられないのはなんとも惜しい。では、大人はどうすれば手に入るだろうか。
「実は90年代後半に京都生協の組合員の『売ってほしい!』という要望を受け、ひな祭りの時期のみ組合員向けに販売を始めています。もちろん、給食に出されているものと同じものです」
京都生協は市内に12店舗、府内に6店舗を構えており、三色ゼリーは1月下旬頃から3月3日までを目安に店頭に並んでいるという。店舗ごとに在庫がなくなり次第販売終了するため、3月3日を待たずして売り切れになることも。また宅配サービスもおこなっているが、2022年は2月中旬までの受注受付で終了。この記事が世に出る頃、確実に三色ゼリーを食べられるのはいよいよ子供たちだけということになる。
「大人の方に買っていただくには、京都生協の組合員となって店舗か宅配サービスで購入していただくしかない、というのが現状です。ありがたいことに市内ではすぐに売り切れることが多く、特にコープ二条駅店、1号店であるコープ下鴨店での売上が好調です。その理由としては、その場所に長く住んでいる方が多かったり、歴史的な年中行事を重んじる方が多いからではないかと考えています」
喜多さんのその言葉に、現在は大阪に住んでしまっている筆者は言葉を失う。京都生協の組合員になるには、京都に在住しているか、職場があるかのどちらかが条件となるからだ。
あまりにも残念がる様子に、「『気軽に買いに来てね!』と言いたいところではあるのですが…(笑)。ただ、今年はコロナの影響で学校給食がなくなるところもあり、例年に比べ在庫が多くございます。いつもより長い期間店頭に並びそうです」と喜多さん。
一度三色ゼリーを実食してしまっているがゆえに、思わず「なんで引っ越してしまったんですかね」と声に出して惜しんでしまった。だが今でも多くの人に愛されているという話を聞いて、三色ゼリーファンとしてはうれしく、「まだなくならないでいてくれるんだ」と少しホッとした。
三色ゼリーは冷凍された状態で保存されており、給食に出てくる頃には半解凍状態になっている。シャリシャリとした食感を楽しんだり、プルプル食感になるまで時間を置いてみたり、今思えば味わい方は十人十色。ちなみに筆者は三層をまんべんなくすくってシャリシャリの状態で食べる派だったが、高学年ぐらいになると一層ずつ器用に剥がして食べる猛者が現れ、真似しだす人が続出していた記憶がある。おせっかいではあるが、今小学1年生の子供たちには「いろんな食べ方で楽しんでね」、小学5年生の子供たちには「来年がラストチャンスやぞ!」と言いたいところだ。
■出合えるのは人生で数回のみ。思い出ごと愛される存在に
喜多さんに話を聞き、筆者が再び三色ゼリーを手にする日は遠いことがわかった。だとすれば、あとは存続を願うのみ。2020年から続くコロナ禍の影響で物品の値上げやリニューアル、販売休止などさまざまな動きがあるが、三色ゼリーは2021年時点では売上が伸びているという。
「おうち時間が続く影響で、行事に力を入れる家庭が増えたのではないでしょうか。『せめて自宅で桃の節句を楽しみたい』と思った時に三色ゼリーを選んでいただけるのはうれしいですね」
こんなに三色ゼリーを懐かしんでいるのは筆者だけなのではないかと思ったが、地元の人々はもちろん、SNSで検索してみると三色ゼリーに思いを馳せる人は今も多く見受けられる。そのなかにはあの味を体験した30代や40代が多く、京都出身の芸能人がメディアで発信することがきっかけになっていると喜多さんが教えてくれた。
「毎年好評の商品であることも、こうして大人になった方たちに思い出していただけることも、本当にうれしく思います。これからも安全安心を第一に、子供たちの思い出となる味と感動を届けていきたいです」
50年以上もの間、京都府の子供たちをワクワクさせてきた三色ゼリー。それにまつわるエピソードとあの味わいを今も語りたくなってしまうのは、年に一度しか出合えない存在だったからではないだろうか。“全国のほんの一部の人だけが人生で6回ほどしか食べられない”そう考えると、本当に貴重な体験をしたという実感がわいてくる。もしかしたら誰もが当たり前にあると思っていた給食メニューも、ほんの一部の地域や年代の人しか食べられない特別な1品なのかもしれない。
どうかこれからも三色ゼリーが長く子供たちの人気者でいられますように、そして何かがきっかけで多くの人たちの手に渡ることがありますようにと、願わずにはいられない。