ぼっちゃんのブログ

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    カテゴリ:日記 > ひとり言

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    久々に自転車投稿です(*^^)v
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    最高の天気です。
    バイクも良いけど自転車も気持ちが良いよ~
    少し最近は運動不足気味なので、朝6時から1時間30分ほどサイクリング
    南河内サイクルラインなど走り朝から清々しい気分です。87068371_2585703261676181_8621616998079528960_n
    錦織神社に参拝をしてきました。
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    近鉄長野線川西駅から西へ向い、川西小学校の手前、石の鳥居をくぐって木々に囲まれた参道を奥に進むと、そこが錦織神社です。
     一番奥に本殿があり、本殿の中央に建速素戔鳴命(たけはやすさのおのみこと)、左右に品陀別命(ほんだわけのみこと)、菅原道真を祀っています。
     錦部郡の最北端に位置するこのあたりは、古くから河川交通の要点として栄え、早くから大陸文化が移入されました。
     一説には、百済から渡来した人々が広い範囲にわたって土着し、綾織(あやおり)、錦織などを朝廷に奉献したことから、今も残る地名や社名のいわれになったとも言われています。
     錦織神社は、もとは水郡(にごり)神社といい、古くは爾吾利天王(にごりてんのう)ともいいましたが、明治40年に今の社名に改められました。
     現在の本殿は正平18年(1363年)に完成されたもので、規模こそ広大ではありませんが、総檜皮葺(ひわだぶき)、漆塗りの華麗な建物で、国の重要文化財の指定を受けています。
     特に屋根が特徴的で、唐破風(からはふ)という丸みを帯びた軒の上に千鳥破風と呼ばれる三角形の屋根をのせた、大変変化に富んだものです。
     このような屋根の形は室町時代のもので、例は非常に少なく貴重な建築物です。また、安土桃山から江戸時代にかけて多く造られた複雑な屋根様式の原型となり、有名な日光東照宮本殿の拝殿なども、この様式を変化させたものだといわれています。
     本殿の両脇には、東に春日社、西に天神社が並立し、本殿と一連の社殿を築いており、この建物を摂社といいます。これも本殿と同時期の作として、小さいながらも国の重要文化財の指定を受けています。
     ふだんは大木で囲まれた静寂なこの場所も、年に一度の秋祭りが行われる10月の第二土曜日には、近隣各地区から繰り出した9台のだんじりが奉納され、子供からお年寄りまで大勢の人々が集まり、にぎわいをみせます。

    この地方は、いにしえより「錦部郡(にしこり)」と呼ばれ、大和の都に通じる要路で、浪速よりの水路を主とする要衝であったため、早くから大陸文化が移入され「和名抄」にみえる百済郷とも称される集落をなしていた。
    「爾之古里」とも表記されて、後に錦部郡となったというが、古代においては百済より渡来した織物の技術を持つ人々が住みついて、綾錦織等を朝廷に奉り文化の向上に大いに貢献したことが伺える。
    この宮は錦部郡の一ノ宮、また河内の三水分のひとつと云われたとも伝えられる。
    現社殿は足利時代の建築で、本殿、両摂社も重文である。
    この地方は石川源氏、錦織氏一族が在住していたといわれる。

    錦織神社

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    久しぶりに石川河川敷を1時間ほど歩いたかな・・・
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    桜を見ながら歩くと気持ちが良いですね。
    なぜか歩いている時は何も考えずに歩いていた。

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    会社に帰って何気なく荷物の無いヤードを見ていると、今まで気にしていなかったピットの片隅に懐かしい物が転がっているのに改めて気付く。
    今でいう門型クレーンの部品です。
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    『ガーダ』今から47年ほど前の物です。

    親父が、重量物の運搬、移動、据え付けの仕事をしていた頃の部品です。
    数年前に、処分するはずだったが何かに使えると思い捨てずにいます。
    今ではユニック車で荷下ろし作業ですが、当時は木製の門型を組み立てて荷物をチェーンブロックで吊り上げて、トラックを前に出してに荷物をお降ろす、今ではすっかり見かけない作業です。
    この『ガーダ』70㎏弱あります。
    親父が生前の頃に、「こんな重たいもをよく一人で頭の上まで持ち上げたな…」と言った会話を思い出した。
    親父は「誰も居らんかったら一人でせなしゃーないやろ!」
    自慢もすることなく、ただそれだけでした。

    今日改めて、若い頃にお会いしたことがある志村けんさんの『名言』を思い出した。

    『仕事に限らず何でもそうだけど、「おれ、頑張りました」ってところが見えてしまうようではまずい。頑張ったとか、努力したということを、ことさら強調する奴がいるけど、それって手品で、すぐさまタネあかしをしてしまうのと同じじゃないのか。いとも簡単にやっているようで、実はその裏で血のにじむような努力と完璧な準備があるからこそ、金を取れるモノになるわけなんだから』



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    今日でTSUTAYA立花店の現場作業も終わりました。
    3月25日から作業に入って、この近辺で昼食でお世話になったお店です。
    25日、らーめんてい立花。
    26日、饂飩四国立花店。
    27日、らーめんてい立花。
    28日、麺処日の出。
    29日、うな希。
    29日の夕方、らーめんてい立花。
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    そして、本日最終日の昼食は『かつアンドかつフェスタ立花店』

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    注文したのは『味噌ロースかつ膳(120g)1,310円』
    サクサクに揚がってロースも柔らかくて、脂身がないタイプですが、これはこれで美味しいです。
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    本来は脂身が好きです・・・(;^_^A
    ごはん、味噌汁、漬物、キャベツおかわり自由です。
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    目の前に、特製ソース、辛口ソースの2種類をかけて3種類の味でいただきました。
    キャベツのドレッシングは2種類。キャベツもみずみずしく美味しいです。
    最近は外食を控える人も多く、どのお店に入ってもお客さんが少ないですね。

    美味しく頂きました。
    ごちそうさまでした。

    かつアンドかつフェスタ立花店



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    富田林市は南河内地域に位置する市です。


     

    富田林寺内町は戦国時代に起源をもち、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています興正寺別院は府下最古の遺構で寺内町の景観を見せる重要な建物です。


    手作り陶器や木製家具など伝統的工芸品の工房から、こだわりの日用品・雑貨、アンティークものを扱うお店、さらには自家製パン屋さん、お蕎麦屋さん、茶懐石料理が楽しめるお店などがあります。

    オススメの雑貨屋さん『zakka marche』です。コーヒーなど、ちょっとした飲食ができ、オーナーの女性が気さくで一人で入っても楽しく過ごせます。

     

    お隣が、とても美味しいお蕎麦屋『八町茶屋』があります。
    バイクや車の駐車場も有るので、味わい深い町並みをのんびり徒歩で楽しむのも良いかと思います。

    滝谷不動明王寺は、月に一度の仏具磨きの日{毎月25日(日・祝日の場合は翌26日)}は日中の祈祷がないので注意が必要。 毎月28日が本尊 不動明王の縁日で沢山の参拝者で賑わい、参道には露店が並びます。(この日は歩行者優先で車両は通行止めです)

    隣村の大阪府南河内郡千早赤阪村の下赤坂城跡を紹介します。

     


     

    大阪府で唯一の村であり人口が最も少ない。楠木正成の出身地として知られ、役行者が修行したと言われる金剛山や棚田などの自然に囲まれた歴史と観光の村である。キャッチフレーズは「一冊の絵本のような村」。
    元弘の乱の主要な舞台となった。元弘元年(1331年)、倒幕計画が発覚した後醍醐天皇が笠置山で挙兵すると、楠木正成もこれに呼応して当地で挙兵。熱湯や二重塀の活用、大木の投下等の奇策を用いて鎌倉幕府軍を翻弄したと伝えられるが、にわか造りの下赤坂城は大軍の攻撃に耐え切れずに落城、正成は金剛山に潜伏した。翌元弘2年(1332年)になると、正成が当城を奪還して再挙兵したものの落城し、楠木軍は上赤坂城・千早城に後退して抗戦を続けた。この千早・赤坂地域の戦いで幕府側を予想以上の苦戦に追い込んだことで、全国的に倒幕の気運が高まったとされる。
    南北朝期にも南朝方の拠点となったが、延文5年(正平15年、1360年)に落城した。周辺の金剛山の尾根上には上赤坂城とともに猫路山城・国見山城・枡形城等の出城が築かれており、赤坂城塞群を形成していた。一連の戦いの模様は『太平記』に記述されている。
    鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成によって築城されたといわれています。
    赤坂城跡から日本の棚田百選に選ばれた下赤阪の棚田が一望できます。


    この写真は、稲刈りが終わってから撮影しているので残念ですが、稲穂が輝く秋には、たくさんのカメラマンが来ています。
    千早赤阪村は大阪府下で唯一の村です。楠木正成の出身地として知られ、役行者が修行したと言われる金剛山や棚田などの自然に囲まれた、歴史と観光の村です。


    大阪府羽曳野市を少し紹介します。

    歴史から古墳時代には多くの古墳が造営された(古市古墳群)。古代の官道といわれる竹内街道が市を東西に貫いている。
    11世紀ごろ、市東部の壺井が八幡太郎義家で有名な武家の棟梁の河内源氏の本拠地となる。
    中世に郡界が混乱し、もともと安宿部郡(あすかべのこおり)だった駒ケ谷と飛鳥が古市郡に含まれるようになった。古代から見られる集落の飛鳥や、氏神社の飛鳥戸神社、飛鳥川などに「あすか」の名が残っている。
    堺の仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)が全国第1位の前方後円墳ですが、羽曳野市には応神天皇陵古墳(誉田山古墳)が全国第2位です。


    誉田八幡宮が571年、欽明天皇の勅命で応神天皇陵古墳の前に設けられて日本最古と言われる八幡宮です。


    野中寺は聖徳太子と蘇我馬子の建立と伝えられています。
    境内庭園のサザンカは、府の天然記念物に指定されています。


    近鉄南大阪線の高鷲駅を下車して徒歩3分ほどで、大津神社が有ります。
    古代の水運にかかわっていた渡来系氏族、津氏一族の氏神です。


    羽曳野名物の油かすうどんも有名です。


     

     

    大阪府藤井寺市に有る澤田八幡神社を紹介します。


    境内に電車が走る全国的にも珍しい神社だと思います。

    この神社は土師ノ里駅(近畿日本鉄道 南大阪線の西南西約360m、仲津媛陵のすぐ北に鎮座しています。入口には社号標が立ち、石段を数段上がって南に参道を行くと、又、石段があり一の明神鳥居が立っています。その先またも南に向かって参道を進むと藤井寺第7号踏切にぶつかり、参道を分断するように東西に近鉄南大阪線の線路が敷かれています。その踏切を渡ると下の境内で、数本の楠の大樹が聳えています。下の境内左にはだんじり庫が配され、お正月の風物詩・とんど焼きの準備も整っていました。社殿が建立されている上の境内は斜面上にあり、石段を上がると左右に浪速狛犬がいます。拝殿は向拝のない横に広い割拝殿で、本殿は後ろに回って塀越しに垣間見ることが出来ます。その南側に仲津媛陵が横たわっていますが、この御陵は日本で九番目に大きな御陵だそうで、又、旦那様の応神天皇は日本で2番目に大きい御陵を持っているそうですので、この時代如何に天皇の勢力が強かったかの証しなのでしょう。
    神社に由緒書きはありませんが、國府八幡神社由緒に「藤井寺市内には、江戸時代初期の頃に誕生した八幡神社が五社ありますが、国府八幡神社以外の八幡神社は、誉田八幡宮(羽曳野市)の分霊を勧請したものとされています。沢田八幡神社、古室八幡神社、土師里八幡神社、津堂八幡神社の四社です。」とあったので、江戸時代の初め頃、誉田八幡宮の分霊を勧請した沢田地区の氏神様のようです。

    大阪府南部に位置する南河内は歴史的にも古く、松原市、藤井寺市、羽曳野市、富田林市、大阪狭山市、千早赤阪村、河内長野市、太子町、河南町の6市2町1村の地域です。
    魅力がいっぱいの地域です。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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