海外留学が自由化されていなかった1964年、外務省自費留学試験を受け、100ドルを懐に米国留学、帰路、スポンサーも付けず、米国で稼いだ自費3,000ドルを元手に日本で最初に『バイクで世界一周』した最初のライダーの実話。
大迫嘉昭(おおさこよしあき) 1939年 兵庫県神戸市生まれ 1962年 関西大学法学部卒業、電鉄系旅行社入社 1964年 外務省私費留学試験合格、米国ウッドベリー大学留学 1968年 アメリカ大陸横断(ロサンゼルス・ニューヨーク)、ヨーロッパ、中近東、アジアへとバイクで世界一周 1970年 バイクでアメリカ大陸横断(ニュ—ヨーク・ロサンゼルス) 1969〜2004年 ヨーロッパ系航空会社、米国系航空会社、米国系バンク勤務
大迫嘉昭(おおさこよしあき) 1939年 兵庫県神戸市生まれ 1962年 関西大学法学部卒業、電鉄系旅行社入社 1964年 外務省私費留学試験合格、米国ウッドベリー大学留学 1968年 アメリカ大陸横断(ロサンゼルス・ニューヨーク)、ヨーロッパ、中近東、アジアへとバイクで世界一周 1970年 バイクでアメリカ大陸横断(ニュ—ヨーク・ロサンゼルス) 1969〜2004年 ヨーロッパ系航空会社、米国系航空会社、米国系バンク勤務
『Oldies’60s,&
My Hardies in California
私の二十代
(2)
駅のエスカレーターに乗るといつも思うが、あれは人の一生に似ている。電車を降り、ホームからエスカレーターに乗り改札階へ上る途中、何気なく後ろを振り返ると、いつの間にか多くの人がオレの後に列を作り続いて上がってくる。前を見上げるともう改札口の手前、降り口である。
これは正に人生である。意識しようが、しまいが多くの人間が日々誕生しているのだ。エスカレーターを降りる瞬間、今まで意識することもなかった、自分の人生の終焉の近づきをふと感じる。
人は年齢を重ね、終焉が近づくと、誰もが自分の人生はこれでよかったのだろうかと、一度や二度は思うときがあるはずである。
命の賞味期限切れも近い自身の人生を振り返ってみると、人生の基礎は、若い時、それも二十代の生き様で決ったと思う。
同窓会に行くと必ず一人や二人出世した奴がいる。「アイツは学生時代から成績が良かったからナ」と、妬みではなく、羨望の言葉が飛び交う内に、彼の家族のDNAにまで発展する。そして「やっぱりナ」と終結する。
DNAで人生が決まるのであれば、オレは人生に希望も夢もなくなり、生きる意味もなかったと思う。人間は考える葦、知恵をも持ち合わせている。それを活かし生きる。それには人とは違う経験、努力、頭脳の使い方で自分なりの人生を模索できるのではないだろうか。
それには読書も大切な要素である。本は自分にない他人のすばらしい知識や経験を安価な方法で学べる知的道具である。時には古本屋で安く手に入れた一冊が、高価な貴金属品や装束品など比較にできないほど、人生を決定づけるような影響を与えこともある。
だからといって、水泳の本を読めば泳げるという保証はない。泳げるようになるには、死ぬ危険のある水の中へ飛び込む勇気が必要である。
出版社は儲けるために内容は二の次、今、最も知名度のあるアイドルや芸能人や時の人が書いたものを優先的に出版する。出版社に売り込んだが、なしのつぶてである。生意気かも知れないがオレの経験が若い人の自己啓発のヒントになればと投稿を思い立った。
人生で最も大切なことは、夢を持ち、それを叶えるためのと努力だと思う。努力は決して裏切らないが、後悔は、すべきことをしなかったことへの恐ろしい代償が待ち受けている。
それに劣等感、人は劣等感という言葉を生きる上で否定的に受け止めるが、自分を活かす最も素晴らしい力でもある。人はそれを克服すために頑張る。頑張るという言葉は、困難なこと、しんどいことをするときに出る言葉で、楽しいことをしているときには出ない言葉である。
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