海外留学が自由化されていなかった1964年、外務省自費留学試験を受け、100ドルを懐に米国留学、帰路、スポンサーも付けず、米国で稼いだ自費3,000ドルを元手に日本で最初に『バイクで世界一周』した最初のライダーの実話。
大迫嘉昭(おおさこよしあき)
1939年 兵庫県神戸市生まれ
1962年 関西大学法学部卒業、電鉄系旅行社入社
1964年 外務省私費留学試験合格、米国ウッドベリー大学留学
1968年 アメリカ大陸横断(ロサンゼルス・ニューヨーク)、ヨーロッパ、中近東、アジアへとバイクで世界一周
1970年 バイクでアメリカ大陸横断(ニュ—ヨーク・ロサンゼルス)
1969〜2004年 ヨーロッパ系航空会社、米国系航空会社、米国系バンク勤務
※本人の同意を得てFacebookより原文転載
『Oldies’60s,& My Hardies in California
大迫嘉昭(おおさこよしあき)
1939年 兵庫県神戸市生まれ
1962年 関西大学法学部卒業、電鉄系旅行社入社
1964年 外務省私費留学試験合格、米国ウッドベリー大学留学
1968年 アメリカ大陸横断(ロサンゼルス・ニューヨーク)、ヨーロッパ、中近東、アジアへとバイクで世界一周
1970年 バイクでアメリカ大陸横断(ニュ—ヨーク・ロサンゼルス)
1969〜2004年 ヨーロッパ系航空会社、米国系航空会社、米国系バンク勤務
※本人の同意を得てFacebookより原文転載
『Oldies’60s,& My Hardies in California
私の二十代
(1)
青春とは人生の或る期間を言うのではなく、 心のもち方を言う。
青春とは臆病さを退ける勇気、冒険心を意味する。ときには、20歳の青年よりも82歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いる。82歳であろうと16歳であろうと人の胸には、 脅威に魅かれる心、探究心、人生への興味の歓喜がある。 20歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 82歳であろうと人は青春にして已む。
これは誰でも知っているサミユル・ウルマンの詩を少し変えてみた。
分かり切ったことだが、親が資産家か、運よく宝くじで億の金が入らない限り、所詮、自分の人生は自分で拓かねばならない。
学生時代、何度となく、この詩に触れ感銘、頑張らねばと思ったものだ。しかし、時の経過とともに、否応なしに人間の実社会に投げ出された。気が付くと「後悔」という現実がオレを押しつぶし始めていた。
若い時にやるべきことをせず、人生の終焉を迎え頃になって後悔する人間は掃いて捨てるほどいることもわかってはいたはずだ。だが、入社すると有名国立大卒の同僚たちには、すでに将来会社の幹部としてのレールが敷かれ、待遇面もどことなく何か違うことに気づいた。今の時代どうか知らないが、いわゆる二流私大卒や学歴のない者は、そのレールさえない会社だった。
いや、今の時代も変わらんと思う。そして、自分が思い描くような人生を築くのが至難の業であるのが人間社会だと実感した。
電車やバスに乗り遅れたら、次の便に乗ればことは簡単に解決する。しかし、人生は一度限り、リピートとかネクストはない。人生を終える頃になって後悔しても、わずかな年金生活が待っているだけである。貰えるだけでも幸せかも知れん。
人間、ちょっと具体的に言うと、日本の人口は約1億2千万人、その数だけ考え方と生き方がある。人生を出来るだけ、自分の理想どおり生きるヒントを得る方法は諸々あるが、所詮自分の人生は自分自身で見つけ、拓く以外方法はない。
地球の年齢は約46億年だそうだ。それに比べると人間の寿命など、長くて、たかが100年である。宇宙の星がキラッと光る一瞬、それが我々人間に与えられた一生の時間だ。その一瞬の人生をどう生きるかは個人の生き方次第で決まる。(つづく)』
引用元:https://www.facebook.com/osako.yoshiaki
大迫嘉昭
2019-12-23
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